連盟の性格 2

次に連盟は、第一次世界大戦の産物であったという特徴づけがなされることがあります。


・・・それは、次のような意味においてであります。


まず、大戦後の国際社会には、戦争の惨禍が生々しく、このような悲惨な結果をもたらす戦争は防止しなければならないという認識が、いまだかつてないほどの広がりと深まりを示しました。


連盟は、このような反省の産物だったのです。


また大戦に際して、また戦争を終えさせる過程の中で、関係諸国の間の協力が進められましたが、連盟は、この協力を戦後の平和と安全という事業においてもさらに継続するという性格をもっていた、ということも指摘されます。


他方、連盟規約の内容や性格を理解する上では、1919年当時の国際政治状況を考慮にいれる必要があることが指摘されます。


まず、連盟は戦勝国の組織だったということです。


つまり、そこで考えられた平和とは、一般的、抽象的な平和ではなく、戦争に勝利した国々が合意しあった内容の平和(戦勝国の平和)を維持することでした。


そのことから当然に出てくるいま一つの特徴は、勝利した国家の中でも大国が指導的な立場に立っていたということです。


この点は、既に触れた理事会の権限を強めるという点に如実に反映されています。


連盟の性格

例えば、軍縮、紛争の解決およびその手続き、制裁、委任統治等に関する事項は、理事会が担当することがはっきりと定められました。


・・・また、理事会は、必要に応じていつでも開催されることが定められました。


理事会のメンバーに関しては、大国と小国の間の均衡が保たれるような配慮が加えられました。


総会は、連盟のすべての加盟国で構成されることになりました。


これは、ウェストファリア以来の当事国全員の参加という考え方を受け継いだものといえます。


定期的に、また、必要に応じて随時会議が開かれることが定められました。


事務局は、19世紀の通信、郵便などの分野の国際機構の経験に学んで、さらに発展させたものという評価がなされています。


この事務局の本格的な登場によって、国際の平和と安全に対して責任を担う連盟が日常的、継続的に活動することが保障されることになったのです。

国際連盟の成立 2

1918年11月に戦争が終り、翌1919年1月に講和会議が開かれ、6月にはヴェルサイユ条約が結ばれ、1920年1月に連盟が成立したことだけを念のために確認しておきましょう。


・・・それでは、連盟を特徴づけた要素は、どのようなものであったのでしょうか。


連盟は、19世紀に生まれた国際機構の組織とそのなかで蓄積された経験に学んだ産物であったということが指摘されます。


ただし、丸写しということではなく、正反両面の経験を踏まえ、また、新しい時代の要請をも織り込んだものであることを忘れることはできません。


まず、連盟のもっとも重要な任務を担う機関は理事会とすることが明確にされました。


このような理事会の政治的性格につきましては、「19世紀の欧州協調の(第一次大戦終了当時の時点での)現代版」であったという特徴づけがなされます。


しかし、欧州協調と比べれば、組織面で格段の進歩の跡がみられます。


・・・そのことはとくに理事会の法的な権限の明確化が図られた点にみることができます。

国際連盟の成立

1915年、イギリスで「諸国家連盟協会」という民間団体が結成され、同じような趣旨の決議を行いました。


英米両国の民間の動きが連盟の成立に無視できない影響を及ぼしたことを窺うことができるでしょう。


政府側の対応としてもっとも早かったのはイギリスだった、と指摘されています。


つまり1916年秋にイギリス外務省は、条約草案を作成しましたが、その中に盛り込まれた内容の多くは、のちに連盟規約に採用されることになりました。


アメリカでは、ウィルソン大統領が1916年当時から、戦後に世界平和を守るための国際的組織をつくることの必要性を述べ始め、1917年1月には、長続きする平和を実現するためには強力な組織が必要であると述べるまでになりました。


ウィルソンの示した有名な14力条の最後は、よく知られているように・・・


「すべての国家の政治的独立と領土的保全を相互的に保証する諸国家の連合を、条約によって結成しなければならない」


・・・と述べています。


その後の成立までの経緯については、多くの文献で紹介されているとおりですから、ここで繰り返す必要もないでしょう。


農業関税の特徴 4

差額関税とは輸入にさいして一定のせきどめ価格を設定し、これと輸入価格との差額を徴収するものであり、ECの共通農業政策における可変課徴金とほぼ同じものです。


これによると、国際価格の変動は完全に関税として吸収されてしまいます。


現在こうして差額関税の対象とされているのは豚、豚肉、ハム、ベーコンなどであり、畜産振興事業団が一定の安定基準価格を設け、これと輸入価格との差額を関税として徴収します。


先のスライド関税に比べて、その保護効果は一段と大きいのです。


そして季節関税。


青果物などのような季節的に繁閑のある農産物を対象に、関税率を季節的に上下させるのが季節関税です。


出回り期には高い関税を課し、それ以外の時期には低い関税を課すことによって国内農産物との競合を抑えようというのです。


現在こうした季節関税の対象とされているのはバナナ、オレンジ、グレープフルーツ、ぶどうなどがあります。


たとえばオレンジの場合、国内のうんしゅうみかんとの競合を考慮して、6月1日~11月30日220%、12月1日~5月31日240%の関税率となっています。


農業関税の特徴 3

従価従量選択税とは、両者のうちいずれか高い方を選択するものであり、たとえば乾燥した卵黄の場合、キログラム当り60円か、従価25%かの、いずれか高い方を選択させる仕組みとなっています。


以上のほかさまざまな形態の特殊関税が多用されていることです。


こうした特殊関税には次のようなものがあります。


スライド関税輸入品が高い時には低関税を課し、低い時には逆に高関税を課すというように、国際価格の高低に応じて税率も逆に上下させるのがスライド関税です。


これに属するものとしては玉ねぎがあります。


玉ねぎの場合、税率は三段階に区分されており、


1.輸入価格がキログラム当り67円以下の場合10%


2.67~73.70円の場合には73.70円マイナス輸入価格


3.73.70円以上無税


・・・となっています。


これによって、国内産玉ねぎを弾力的に保護しようというのです。

農業関税の特徴 2

EECと日本の農業関税はほぼ匹敵する高さとなっています。


ただし、以上は1972年時点での数字であり、その後日本の農業関税は工業関税と並んでかなり大幅に引下げられてきています。


とくに、東京ラウンドによって日本の農業関税は3分の1程度にまで圧縮されたため、ごく最近ではアメリカと大差ない水準にまで低下してしまいました。


国際的高位性という点はかなりの程度修正されたといっていいでしょう。


第三に、課税形態についてみると、農業関税には従量税ないし従価従量選択税がかなり含まれています。


工業関税の場合には従価税が原則でありこれが圧倒的多数を占めていますが、農業関税の場合には従量税・従価従量選択税が1割強にのぼっています。


一般に従価税と従量税を比較した場合、保護の程度は後者の方が高いといわれています。


前者は生産性の上昇・コストの低減に比例して税額が低下するのに対して、後者は不変だからです。

農業関税の特徴

農業関税の特徴としてあげられるのは次の諸点です。


第一に、工業製品に比べて相対的に高関税となっていることです。


ガットが先進6力国の関税水準の比較を4通りの方法で算出したものをみるとわかりやすいですね。


細かな技術的説明は省略しますが、日本の農業関税率は工業関税に比べて2~4倍の水準にあります。


ただし、これにはタバコの高関税が大きく影響しているので、これを除いてみると1.5~3倍となります。


第二に、国際的にみると、日本の農業関税はEECと並んでもっとも高い水準にあります。


EEC以外の先進国と比べた場合、国により方法によっても異なるが、日本の農業関税はほぼ2~3倍の高さです。


欧米諸国のなかではアメリカ・イギリスが相対的に低く、EECがずば抜けて高いのですが、これは可変課徴金によるものです。

ミケネ文明の発見 4

エーゲ海の周辺幾は、地形も気候も似ています。


小アジアの西岸地帯は、背後の広大な中央高地によって、またギリシア半島は山脈によって、大陸内部との日常交通は阻まれています。


これに反して、エーゲ海側は海岸線が発達していて港をえるのに不自由はありません。


それでエーゲ海の周辺地域は海にむかって開かれています。


エーゲ海の南の境はクレタ島ですが、この島についても同じです。


しかもこの海は多島海の別名があるように、多くの島が点々と散っていますから、初歩の航海にも容易です。


いったい海といえば、交通の妨げになる場合が多いですが、ここでは周辺地域を結びつける働きをしています。


エーゲ海は古代の航海術の揺り篭であり、訓練場でした。


そしてこの海上の道こそは、エーゲ世界の繁栄の道だったのです。


エーゲ世界は地形と気候に共通性をもっています。


地方差はあるけれども、概して山が海の近くに迫って山地が多く、平野は小さいのです。


しかも雨が少ないから地味がやせています。


それでエーゲ世界は、古代東方やインダス流域のように、農耕による収穫を輸出して富を蓄積することはできません。


ところがこの貧弱なエーゲ世界にも有利な生業が興ってきました。


雨が少なく多熱で砂地がちの地域によく育つのがオリーヴとブドーです。


これらから作る油と酒は余分にできます。


この余剰物資を輸出して他の物資と交換すれば、富がえられます。

ミケネ文明の発見 3

エヴァンズは伝説のミノス王の宮殿を発見したのです。


それでこのクレタの古代文明は、ミノア(ミノス)文明とも呼ばれます。


その建物跡は迷宮の名にふさわしく多くの大小様々の部屋からなり、ミケネ時代の城塞のような城壁を欠いています。


また壁画と陶器とは明らかにミケネ人の手本でした。


ミケネ人の模倣作は拙かったからです。


ミケネ文明はクレタ文明を受けついでいたのです。


エヴァンズの活動の少し前に、島の南部ではイタリア人がファイストスに宮殿の発掘を始めており、その後は、島の各地に各国の学者たちが活躍してつぎつぎに華やかなクレタ文明の姿が再建されていきました。


クノッソス東方の海に近いマリァ宮殴、ファイストスに近いハギア・トリアダ離宮、地方の邸宅のほか、都市も姿を見せたし、墓地、山上の聖地、洞窟などが発掘調査されました。


こうして、クレタ文明の長期にわたる各時期の発達と華やかな文化が再生できるようになりました。


キクラデス諸島にもこの文明は跡を残していますが、メロス島が最も注目されました。


第ニ次大戦後にも大きな発見が続いた。


その一つは島の東端にあるザクロス宮殿であり、もう一つはテラ(サントリン)島の住居址です。


クレタ文明は一層に輝きを加えました。


・・・以上のように再建されたトロイア、キクラデス、クレタ、ミケネの諸文明は明白な個性とともに、エーゲ文明としての共通性をもっています。


・・・それは共通の自然条件と生活様式からきていると思われます。

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